小学生の頃、夏は毎日近くの原っぱで真っ暗になるまで草野球をしていました。 私より2つ年上お兄ちゃんから、5つ年下の子まで。 ボールはふにゃふにゃのゴムボール、ベースは靴。 バットはありましたが、なければ、腕で打っていました。 小さい子たちはバットや腕では当たらないので、 テニスかバドミントンのラケットで。 小さい子が打てば、走るのは大きい子。 それは「みんなで楽しく遊ぶために」子ども達同士で考えたルール。 最近は小学生になると、スポ少や習い事に忙しくて、 子ども達だけで群れて遊ぶなんていう姿を見ることが少なくなりました。 地域環境がそれを許さないのかもしれませんが、例えばスポ少は、 決められたスポーツのルールの中で行うものですから、 突然幼稚園の子が遊びに来ても、 「じゃあ、君だけ〇〇ね」なんてことにはなりません。 でも考えてみれば、同年齢の人たちだけで決められたルールの中で 過ごす時間は、実は人生の中でほんの少しです。 あとはいろんな年齢の、いろんな学校、いろんな国、いろんな文化・・・ そんな中で暮らし育って来た人たちと、 協力して仕事をしたり、家庭を作ったり、地域を育んでいかなくては なりません。そこにはスポーツのような決められたルールがあるのではなく、 その場にいる人が自分たちで知恵を絞り、 皆が納得するルールを作っていかなくてはいけません。 子どもたちの「異年齢」での「自由」な遊びの中には、 そんなことに対応する知恵や工夫が隠されているのだと思います。